「どうする家康」もう君と同じ星は見えない…第40回放送「天下人家康」振り返り (5/11ページ)
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「かくなる上は治部少輔(三成)を討つべし!」
七人は合議して大坂にいた三成を襲撃。慌てた三成は親友であった佐竹義宣を頼りました。
佐竹義宣は常陸国(茨城県)の大名で、義気に篤い性格ゆえ窮地の三成を救出します。
「さぁ、治部殿こちらへ!」
女性物の輿に三成を乗せて自ら護衛し、伏見の徳川屋敷へ駆け込んだのでした。
……向島の御館に参りてさまざま歎訴し奉れば。 君には何事も我はからひにまかせらるべしと御承諾ましまし。やがて御使を七人の方へ遣はされ。仰■■れしは。当時秀頼幼程におはせば。天下物志づかにあらまほしく誰も思ふ所なり。まして人々はいづれも故太閤恩顧の深きことなれば尚更なるべし。三成が舊悪はいふまでもなけれど、彼已に人々の猛勢に恐れて。当地までも逃来りし上は。おのおのの宿意もまづ達せしなればこれまでに致され。此上は穏便の所置あらむとこそあらまほしけれとの御錠なり。……
向島というのは巨椋池(現在は消滅)に浮かぶ島で、伏見城の位置から向かいにありました。ここに家康の屋敷があり、逃げ込んできた三成を快く受け入れたと言います。
「相分かった。彼らはわしが説得しよう」
家康は七将に対してなだめる使者を遣わしました。
「いま大坂城におわす秀頼ぎみは未だ幼く、我らが天下を平穏にお支えせねばならん。特にそなた達は亡き太閤殿下から深く御恩をうけたのだから、尚更であろう」
「確かにそなた達の不満はもっともで、これは治部めの落ち度に他ならない。しかし此度わしを頼って来たからには、わしも治部を守らぬ訳には行かんのだ」
「そなた達とここで争うのは容易いが、天下平穏のため治部めを震え上がらせたところで矛を収めてはくれまいかのぅ」
さて、これを聞いた七将の反応やいかに。