『豊臣兄弟!』蜂須賀正勝が龍野城主になった裏で…城を奪われ“天空の城主”となった赤松広秀の悲劇の最期 (4/10ページ)
そのような状況のなか、1577年(天正5年)、信長の命を受けた羽柴秀吉が播磨へ侵攻してきました。もちろん、龍野城も織田軍による攻撃の対象となります。
このとき広秀は抗戦することなく龍野城を明け渡し、蟄居したうえで旧領安堵を願い出ましたが、秀吉はこれを認めませんでした。
そして龍野城は、秀吉によって蜂須賀正勝に与えられたのです。
広秀にとってみれば、先祖伝来の領地を失っただけに、屈辱的な出来事だったに違いありません。
しかし広秀は、秀吉に敵対する道を選びませんでした。むしろ正勝の与力となり、中国攻めや四国攻めなどに従軍して、秀吉のために懸命に働いたのです。
8年後、但馬の要衝・竹田城主に返り咲く広秀は秀吉を恨むことなく、羽柴軍の一武将として戦功を重ねます。そして1585年(天正13年)、龍野城を失ってから、およそ8年の年月の末、ついに城持ち大名に返り咲きました。
与えられたのは、現在「天空の城」として知られる但馬・竹田城を中心とする2万石余の領地でした。