『豊臣兄弟!』蜂須賀正勝が龍野城主になった裏で…城を奪われ“天空の城主”となった赤松広秀の悲劇の最期 (3/10ページ)

Japaaan

赤松広秀の曾祖父赤松政則。有力な守護大名として中央にも勢力をもった(Wikipedia)

広秀は、播磨・備前・美作などを支配した有力な守護大名・赤松氏の一族として、1562年(永禄5年)に生まれました。

しかし室町時代末期になると、名家・赤松一族は播磨をはじめ中国地方各地に分散し、それぞれの系統が生き残りを図るほど衰退してしまいます。

戦国時代、播磨は西の毛利氏と東の織田氏という二大勢力が激突する最前線でした。

広秀は当初、別所長治(下川恭平)らとともに、織田信長(小栗旬)と誼を通じていましたが、やがて他の播磨衆と同じように、その去就をめぐって難しい立場に置かれます。

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