『豊臣兄弟!』蜂須賀正勝が龍野城主になった裏で…城を奪われ“天空の城主”となった赤松広秀の悲劇の最期 (9/10ページ)
秀広が庇護した藤原惺窩。徳川家康に進講し、徳川三百年の歴史に大きな影響を与えた(Wikipedia)
また、朝鮮出兵の際に、藤堂高虎(佳久創)の軍に捕らえられ、日本に送られた儒者・姜沆(カンハン)とも、惺窩を介して交流しました。
姜沆の記した『看羊録』には広秀について、「日本の将官は、すべて盗賊である。しかし、ただ広秀だけは人間らしい心をもっている」という趣旨の言葉が残されています。
これは、戦国の武将たちを客観的にみていた朝鮮の儒者から、広秀の人柄がどのように映っていたのかを知るうえで、とても参考になります。
儒学を尊び、領民を思いやり、産業や学問を奨励した人物として伝えられている赤松広秀。だからこそ、その死後400年以上が過ぎた現在でも、竹田の地ではその名が語り継がれているのでしょう。