高塔山と甲州八幡宮のそれぞれに建てられた火野葦平の文学碑とその刻印文字 (6/8ページ)
また、福岡在住の詩人で、早稲田大学校友会福岡県支部の世話人でもあった柿添元(1918〜2008)が、1978(昭和53)年に同支部の会報『福岡早稲田』で、作家・火野葦平について執筆することとなった。その際、小田と会い、火野の資料を借り受けていた。そこに、死の直前にあった火野が、ごく限られた人々に、「足は地に/心には歌と翼と/ペンには色と肉を」の文言を、自信が亡くなった後、もし文学碑を立てることがあるなら、これにして欲しい、ともらしていたことを発見した。またそこで柿添は、小田から文学碑建立の相談を受けてもいた。
柿添はその言葉を、「火野の人間としての生き方、文学者としてのあり方への希求である。堅実なリアリストとして生き、かつ観察し、大いなる想像力と調べとを練り上げ、豊かな色彩と肉付けとを自らに要求する。そのような意志と願望を実現した自作銘である」と絶賛していた。しかし火野の死は長らく、自殺だったことが伏せられており、しかも亡くなった年に高塔山に建てられた文学碑は、火野の遺志を必ずしも反映したものではなかったことも、先に挙げた資料によって明らかになった。こうしたことから、早稲田大学校友会福岡県支部でも、火野の遺志を汲んだ碑を建てようとしていた。しかし、福岡県内に建てる場所が見つからないまま、長い年月だけが流れていた格好だったのだ。
■そして甲州八幡宮にも火野葦平の文学碑が建てられた

こうした中、柿添から大神に、ぜひとも共同で文学碑を建てようと申し出があった。