日本橋、遊郭、長屋…浮世絵で見る、江戸時代を生きる人々のタイムスケジュールはどうなっていた?【最終回】 (6/11ページ)
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江戸時代
明暦の大火を描いた田代幸春画『江戸火事図巻』 ウィキペディアより
江戸の消防体制としては「武家火消」と「町火消」の2つの組織がありました。
「武家火消」は江戸城や武家屋敷を守ることが主な役目で、町人たちの町家の火事対策には不十分なものでした。
そこで8代将軍吉宗は、南町奉行の大岡越前守忠相(あの加藤剛がテレビで演じて有名な大岡越前ですね、懐かしい)と大火対策を協議し、享保3年(1718年)、町人による「町火消」を編成させました。
もともと町屋の子弟や奉公人たちで構成されていた「店火消」という組織があったのですが、所詮は素人なので火事場に行っても役に立たない。大岡越前守はまずはそれを機敏な活動が得意な鳶職を中心とする組織に組み替え「町火消」を作ったのです。
そして名主たちの意見を参考にしていくつかの町を「組」としてまとめ、「いろは48組」を設けました。
「いろは48組」は隅田川の西側を担当し、隅田川の東側は「本所深川16組」が設けられました。