これは歴史的冒涜か?盲目的な愛か?女帝・孝謙天皇が強行した道鏡の皇位継承問題を考察【後編】 (3/11ページ)

Japaaan

前半は760年(天平宝字4年)の光明皇太后が崩御まで、後半は770年(神護景雲4年)の孝謙(称徳)天皇の崩御までである。

前半期は、孝謙天皇の母であり、聖武天皇の皇后であった光明子を背景とする政治体制のもとに展開した。

光明皇后 下村観山画(Wikipedia)

光明子は光明皇太后となり、聖武天皇の一周忌を終えると、孝謙天皇を伴って甥にあたる藤原仲麻呂(藤原武智麻呂の次男)の邸宅・田村第に移った。ちなみに、孝謙天皇と仲麻呂は12歳違いで、仲麻呂の方が年上である。二人は従兄弟の関係にあり、幼少のころから親しく知り合っていたと想像される。

仲麻呂は生まれつき聡明で、算術や経書などあらゆる学問に才を発揮した。また、聖武天皇が推進した仏教に対しても深い信仰心を抱いていたと伝えられる。

孝謙天皇が、そのような仲麻呂に憧れを超えて恋心を寄せていたとしても、不思議ではない。このため、しばしば孝謙天皇と仲麻呂が愛人関係にあったのではないかと語られてきた。しかし、女帝という立場を考えれば、実際にそのような関係に発展したとは考えにくいだろう。

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