これは歴史的冒涜か?盲目的な愛か?女帝・孝謙天皇が強行した道鏡の皇位継承問題を考察【後編】 (6/11ページ)

Japaaan

道鏡(Wikipedia)

このとき看病にあたったのが、弓削氏出身で法相宗の僧侶・道鏡であった。古代から中世にかけての日本では医学が十分に発達しておらず、病に侵されれば、対処法は神仏に祈る加持祈祷しかなかった。

当時は身分や貧富にかかわらず、人々は病によってあっけなく命を落とすことが多かった。食生活においても栄養の偏りが大きく、そのため奈良時代の平均寿命はおよそ30歳前後と推定されている。43歳であった孝謙上皇にとって、このときの病は命の危機であった。

看病禅師として招かれた道鏡は、上皇に寄り添い手厚い看病を行った。その甲斐があってか、回復した上皇は道鏡をそばにおいて強く寵愛するようになったのである。

道鏡を天皇位につけることを画策する

762年(天平宝字6年)、淳仁天皇は平城宮に戻ったが、孝謙上皇は平城京郊外の法華寺に住まいを定め、出家して法基尼と号した。これは、上皇が平城京に入れば貴族や官人が道鏡に反発することを懸念したためともいわれる。

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