【小説】国芳になる日まで 〜吉原花魁と歌川国芳の恋〜第22話 (11/12ページ)
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(国貞の兄さんが、頭を下げた)
ひどく長い沈黙の末に、国貞は顔を上げた。
長い睫毛に縁取られた国貞の目は、静かにひたりと冷えた哀しみを湛えている。
「父っつぁんは、今日は・・・・・・?」
国芳はおずおずと国貞に訊いた。
「ああ、先生は国重の兄さんが看てくれているし勿論お内儀もいるから、心配はいらない。先生もさすがに、私の顔ばかりでは嫌になるだろうから・・・・・・」
不安からか少しだけ饒舌な国貞の言葉を聞きながら、こんな弱気な事を言う兄弟子だったろうか、と国芳は思った。
国芳の記憶の中の国貞はいつも強気で、国芳がつっかかろうが何をしようが顔色も変えずに絵だけを描いていた。
(いや、顔をこちらに向けてくれたことすら、ほとんどなかった。・・・・・・)
背中だ。
国貞の猫のようにしなやかな背中ばかりが、国芳の脳裏には焼き付いている。
(あの背中が)、
いつの時も何も語らなかったあの背中が、工房に寄り付かなくなってからもどうしても頭から離れなかった。
自分の母親が亡くなった時にも国貞は取りも乱さず、背中しか見せなかった。貝がそっと口を閉じるように押し黙って画室で絵を描いていた、あの冷たい背中。
そこには人間が当たり前に感受する喜びや哀しみ、そのどの色も読み取れはしなかったが、絵筆を握るそのしなやかな指先は、江戸中を惹きつける粋で洒脱な錦絵を常に紡ぎ出し続けてきた。
師の期待に応えて江戸中から愛される「歌川派の絵師」となるためだけに、国貞は生きてきたのである。
(幾つの哀しみを、幾つの切なさを呑み込んで、あの背中は一体)、
国芳は気が遠くなる思いがした。
その背中の持ち主が今まさに目の前にいて、その薄いくちびるが弱音のような事を吐き、哀しい目で頭を下げている。
(わっちのようなボンクラな弟分に)。
そういえば国貞が怒る時にはいつも、豊国の名を汚す気かと言って怒った。私情で怒った事は一度もないのに、豊国の事となると烈火のごとく怒り狂った。国貞には、豊国が全てだったのだ。